パズルが得意な人の二つの型-論理型とひらめき型-
パズルが得意な人は論理的思考力がある!
そして論理的思考力がある人は数学やプログラミングが得意!
だからプログラミングを今すぐはじめよう!
ということがよく言われるが、果たしてそれは本当のことなのか?
疑問に思った人は多いと思う。
私は、パズル(と算数)が得意であるし、とても好きなのだけれども、
数学とプログラミングはからっきしできない。どういうことだよ!
なんでだ。
その理由について少し考えてみた。
論理型パズル得意人とひらめき型パズル得意人
論理型パズル得意人
私の見立てによると、世の中が
パズルが得意≒論理的思考力がある!
というのは、パズルを解く過程が
「A(最初)からZ(完成)に持っていくには、まずBをAに繋げて、それからCとDを…」
というふうに、答えまでの道筋(ピース)を一つ一つ丁寧につなげて完成させるものだ、
という認識を持っているからだなのだと思われる。
それが論理を一つ一つ積み上げていくソレに似ているので、
パズルができる人は論理的思考力が優れいている、と言うのだと思われる。
実際、数学の証明は1から10まで丁寧に積み上げていかないと、つまり
「3とか4とかすっ飛ばしちゃいました☆」
とかやると、論理がはたんしてしまうので、証明にならない。
なので厳密な論理構造が不可欠。
プログラミングも、1から10まで積み上げかつ、一文字も間違えることなく記述しないと、
「;とかaとか書くの忘れちゃいました☆」
とかやると、コンピュータさんは「エラー。訂正しろ」と突っ返してくる。
なのでコンピュータのルールを守って書かないといけない。
まあプログラミングの場合は、
ある構造の中のある文を他の文に置き換えたりする、つまり
構造の一部をパズルのピースに見立て、そのピースを他のピースに変える
という事をするだけで、いろいろなものが作れるので、
数学ほど厳密な論理性は必要ないと言える。
なのでパズルが得意≒プログラミングが得意 といわれる所以は
論理性云々ではなく、こちらにあるのかもしれない。
(こういったやり方は本来のプログラミングのやり方とは言えないと私は考えるが。)
というわけで、
パズルが得意≒厳密な論理的思考力が備わっている
→数学・プログラミングが得意!
と言えるというのだろう。
これを「論理型パズル得意人」と呼ぼう。
ひらめき型パズル得意人
一方で、とりあえずパズル自体を適当に動かしているうちに、
ひらめきや直観が降りてきて完成までの道筋が見えた、のような、
「ひらめき型パズル得意人」もいる。
私は完全にこちら側の人。
とりあえず、何も考えずに動かしてみる。
色々なパターンを試してみる。すると、何となく完成までの道筋がぼんやりと見えてくる。
その状態でまた色々とやってると突然、完成までの道筋がパっと閃くのだ。
この作業には、論理的思考力はほとんど必要ない。
無意識的にはあるのかもしれないが、意識的にはほとんど考えずにやってる感じ。
ひたすら、試行結果から得られたパターンを無意識の中に蓄積し、
得られたパターンを頭の中で(無意識的に)組み合わせて、やがて閃きにつながる
みたいな感じ。
論理的思考力というより、パターン認識力を使ってる感じ。
というわけで、
同じパズル得意人でも、
論理的に解く人 と
ひらめきを使って解く人
の2種類の人がいるのだと考える。
パズルが得意で数学やプログラミングが得意でないのはひらめき型だからかも
一般的に言われる、
パズルが得意かつプログラミングや数学が得意だという人は、論理型。
一方で、パズルが得意なのになぜかプログラミングや数学はかっらきしできない、
という人はひらめき型である。
そう、我々(誰だ)は本当はひらめき型であるのに、
論理型とひとくくりにされてきたのである!(論理型に罪はない)
というわけで、
パズルが得意なのに数学とプログラミングができないのはどうして?
という問いには少しは答えられた気がする。
納得できるような論理を見つけたというべきか。
ひらめき型はネットワーク的思考なのだ。
ノードとなる知識や知見、試行結果をひたすら収集し、整理せずにため込んでおく。
するとある時、無関係に見えるノード同士が繋がって、線となる。
点と点がつながるのである。
こうして、ようやく、私と数学・プログラミングとのたたかいが終わった。
たたかっていると思っていたのは私だけか。まあいい。
得られたものは私にとって本当に大きいものだ。
これから私は、数学・プログラミングを暖かく見ることにしよう。
ではまた。