何でも生る木があるとする。あなたは何の生る木が欲しい?
将来の夢は何ですか?と
幼稚園の終わりのころになって聞かれた。
卒業文集にのっけるんだと。
その時自分は5歳だったが、
「そんな将来のことわからないわ。適当に書こ。というか皆なんて書いてるのかなあ」
と思い、皆に聞いてみると、「サッカー選手」と書いていると言っていたので、
サッカー選手と書いた。
とか言いつつも、
「3歳から何かを続けないとその道のプロになることはできない」
という謎の縛りが、その時私の頭の中を占めていたので、
実はめっっっちゃ焦っていた。もう5歳じゃねーかと。
なので、何か見つけなくては!と焦ってはいたものの、
当時ハマっていたテレビゲームよりも面白いものが見つからなかったので、
「まあいいや。そのうち見つかるだろう」と
思っているうちに、長い年月が経っていった…。
-------------------
小学生の終わりのころ、私は地元の野球クラブに入っていた。
幼稚園の頃に「将来の夢はサッカー選手」と書いたような気がしたけど、それはきっと気のせい。
ある日、野球の練習で使う地元の小学校で、縁日的な催しが開かれていたので、
せっかくだからクラブで参加しよう、ということになった。
で、図書館で紙芝居みたいなものを上演するということで、
クラブの何人かのメンバーと一緒に見に行った。
紙芝居の題材は〇〇のなる木だったかな確か(うろ覚え
話は忘れた。
で、上演し終わったあと、白い紙を渡された。
そして、紙芝居を読んでくれたにこやかなおにいさんが、
「そこに自分が欲しいと思う木を書いてください」と言った。
つまり、「何かが(何でも)生る木があるとします。
さて、君が欲しい木は何のなる木かな!?!?」と言っているわけだ。
はて、このような質問、どこかで聞いたことが・・・ハッ!!
かつて幼稚園の時に聞かれた
「将来何でもなれるとして、君は何になりたいかな!?!?」
と同じようなことを聞かれている!?
今回は真剣に考える必要があると、その時思った。
---------
その場に誰がいるか:
野球クラブのメンバー(全員野球練習着着用)
小学校低学年と思われる子どもたち(つまり自分たちより年下)
紙芝居朗読してくれた大人
その時の私の思考:
「んー何て書いたほうがいいかな…自分よりも小さい子どもたちもいるし…
野球の練習着着てるし…ニコニコしているおにいさんもいるし…
ここは『野球ボール』とか『グローブ』とか書いたほうが
野球少年っぽく思えて、場も和やかになるだろうから『野球ボール』と
書かない。
周り見て決めるのはもう終わりだ。
「将来の夢はなんですか?」のアレの繰り返しになってしまう。
冷静に考えろ。真剣に考えろ。
そもそも野球ボールなんて沢山あってもそんなに使わないだろう。
同じグローブがたくさんあってどうする。試合ごとに変えるのか?
「イチローのようなファインプレーができるグローブ(耐久値:試合一回)」とかだったらいいけれど、
ここで聞かれているのは多分「今現実にあるもので沢山欲しいものは何か?」
ということだ。それに対する最適解を考えるんだ!!
冷静に考えろ…「今現実にある物」でいくらあっても困らないもの…嬉しいもの…
何とでもなるもの…
ハッ!!!!」
その時私は閃いたのだ。
すべての答えを無に帰する最適解を。
---------
思考タイムが終了し、
「それじゃ―順番に聞いていきますね^^」
とニコニコしながらおにいさんが聞いて回る。
案の定、野球クラブのメンバーは「グローブのなる木」とか「バットのなる木」とか書いているわけだ。
「(いや沢山グローブあっても使わないでしょ?)」
「(もっといいものあるでしょ?)」
と心の中では思いつつ、
あふれ出そうなドヤ顔を必死に抑えつつ、ほぉほぉとうなずく私。
そして、ついに自分の順番が来る。
おにいさんが
「どうですか?君は何のなる木が欲しいのかな?^^」にこやかに問いかけてくる。
きた。ついにきた。
これまでの皆さんの回答を根本から消し飛ばす素晴らしい回答を見せる時が来た。
答え、オープン。
「お金の生る木」(ドヤ顔&満面の笑み)
自分史上最高の、渾身のドヤ顔&笑顔
だったと思う。
会場 (小さな図書室) 全体に伝わったと思う。この想い。
「どや!バットとかグローブとかボールとかそんなんみみっちいわ!
これだろ!これがあればバットもグローブもボールも…
グラウンドもコーチも(雇う的な意味で)好きなだけ買うことが出来るぞ!!!!
これで皆ハッピーや!!!」
と言いたかったけど言わなかった。いや似たようなことを言ったかもしれない。わすれた。
まあ言わなくても伝わったと思う。この想いは。
それくらいの渾身のドヤ顔&満面の笑みだったと思われる。
しかも紙には「お金の生る木」という文字だけではなく、
ご丁寧に木を描いて、そこに札束がぶら下がっている絵を描いた。確か。
一枚のお札ではなく札束を書いているとこがポイント。
で、「お金の生る木」を披露した後。
会場が静かになった。
「なんだ…答えが素晴らしすぎて皆驚いているのか…?」
そう思った。
数秒、確かに数秒の間があったことは覚えている。
しかし、その数秒の間の後、
「そんなの夢がない!」
「そうだ!夢がない!」
野球クラブの2人が、そう言った。
(そう言いつつも、「いや…それ書きたかったんだけど…空気読んで無難な答えにしたよ…」と言いたげな顔をしていた)
「夢がない…?何を言っているんだ…?
夢の塊だろうどう考えても…何でも買えるんだぜ…?
何でも手に入るんだぜ…?君の欲しいグローブだって、バットだって、いくらでも手に入るんだぜ!?
なんならグローブと!バットと!ボールと!ユニフォーム!スパイク!ベースゥ!グラウンドォ!なんだって買えるんだぜ!!?」
と言いたかったが、小さな子どもたちもいるし、
そもそも自分のこの答えに揺るぎない自信があったので、いうことはないと思った。
そして、ちらっとニコニコおにいさんの方を見た。
「大人のおにいさん!大人の助け舟を出してェ!」と言わんばかりに。
しかし、そこにニコニコおにいさんは居なかった。
そこに居たのは真顔おにいさんだった。
真顔おにいさんは少し間を空けて、苦笑いおにいさんになってこう言った。
「まあ・・・お金も大事なものだからね・・・?」
おいおい。まじかよ。
「大人・・・これが大人か・・・!!」
と思った。11歳の夏の日。
揺るぎない自信はどこかに消えた。
代わりにあるのは裏切られた感、そして屈辱・・・!
そして、自分が本当に欲しいものを求めるよりも、その場の空気を優先する、
この社会の歪み・・・!!!!
あたし超傷ついた。
その後の展開は覚えていない。
よほどショックだったのだろうか。
ドヤ顔笑顔からのおにいさんチラ見まで鮮明に覚えているのにそれ以降ほとんど覚えてないわ。
それ以降、私は公の場でお金のことを語るのを避けるようになった・・・。
そして
「夢がないとだめなんだ。夢を見つけなければ」
と思うようになった。
これ以降、私は自分探しを
することなく、テレビゲームにどっぷりと浸かり、
その後に、自分探しをはじめるのだが、それはまた別のお話。
---------
それから十数年がたった。
世間でいう大人になったのだ。
あれから「夢を探さなければだめだ!」と思って
夢を探し続けてきたけれど、見つかっては消え、見つかっては消えた。
夢なんてなかったのかもしれない。っつか夢ってなんだ。
「そもそも自分は『お金の生る木』を持つことが夢なんじゃないのか?」と今は思う。
あの時、「将来の夢はなんですか?」という問いを
重ね合わせて考えて出た答えだったわけだし。
プラスして純粋な子どもの心をもって出した答えでしたし?本当に。
自分の気持ちは信じるものだね。
今、あの時に居た人たちを集めて
「何の生る木が欲しい?」と問うて、私が
「お金の生る木!」
って言ったら、多分9割の人が賛成してくれるんじゃないかなあと思う。
ほしくなってきただろう?お金の生る木が。
そう、お金は大切なものなんだよ・・・。
夢あるだろ…?お金の生る木…!!
というわけで。
特に言いたいことはなかったんだけれども、
周りの意見を気にするな。
空気は読まなくてよい。
自分の好き(欲しい、やりたい)を貫け。
この3つは強く言いたいと、書いているうちに思った。
つまり自分に素直になればいいと。
自分に素直になって、やる。Doする。
それでいいんだと思った。それでいいと思うのに十数年かかったけど。悔しいけど。
気づけたので良い。
久々に純粋な11歳の自分の気持ちを感じて、清々しい気分になったよ。
やりますぞ。
さて
あなたは何の生る木が欲しい?
ではまた。