なあに、書きたいことを書けばいいのさ ブログだもの
私なりの意見や考え方を書こうとすると、
まーそれはそれは時間がかかる。かかりすぎた挙句、下書き保存してそのままとかよく
ある。
一体なぜなのか?
それは「他人がどう思うか配慮して書こうとする」というのが理由。
なるべく読んだ人がいやな思いをしないように、一つ一つの言葉を吟味して書いていこ
うとする。
というより、「それは間違っている!」と反応されるのがいやなんだけど。
これはきっと、正論振りかざし(たと思っ)たら総スカン食らった、金の生る木の体験か
ら来ていると思う。金の生る木の記事→
何でも生る木があるとする。あなたは何の生る木が欲しい? - 一片の曇りもない世界。
だからこそ時間がかかるし、納得いく文章が中々書けない。
まあすべての人が納得するような考え方なんてないわけです。
私は以前MBTIという性格診断にハマっていました。
そのMBTIによると、世の中の人間は16種類の型にわけられるんですが、
その16種類のどの型の人であれ、逆の考え方をする人がいるんです。多かれ少なかれ。
例えば、革新が正義や!という人もいれば、伝統が正義や!という人もいる。
それを考えるとどんなに「これが正論や!」と言ったとしても、その人とは逆の考え方
をする人から見れば「それは間違ってる!」となるわけです。
これであれば、ある意見を「正義や!」と延々述べたとしても、
「それは違う!」となるわけです。
というわけで、まあ色々な意見があると受け入れたうえで、
「みんなちがってみんないい」精神で、書いていきましょう
となればよかったんですが、そうはしませんでした。
じゃあどうしたか?
「みんなちがうんだからなぜそうなるのかの理由を逐一説明してなおかつ『こういう意
見もあるとは思いますが』を多用しなるべく穏便に済ませよう」精神で、書いていこう
と思ったわけです。
具体的にどういうことをしたかというと、頭の中に私以外の型の人間、つまり15の人格
を創り出し
「あれ?この意見はこの型の方から見ればおかしいと思うよなあ、修正」
「あれ?この考えは逆の型の方から見ると『それは間違っている!』となるなあ、『こ
ういう意見もあるとは思いますが』を発動し、穏便に済むように・・・」
ということをしていました。
まあ15の人格というのはちょっと盛りすぎましたが、本当に細かいところまであらゆる
視点で見るように心がけてました。おかげで全く筆が進まない。
ということでまあ今まで不毛なことをしていたんですがもうやめて、
「みんなちがってみんないい」精神で、割と自由に書くことに決めました。