一片の曇りもない世界。

様々な分野について書いていきます。

2歳のころからゲームしてました

僕は2歳のころからゲームをしていた。

 

 

スポーツ選手や音楽家などのプロは、「3歳からやり始めました」という人が多い。

 

それだけ、早い時期にある物事に取り組むという事は、才能を発揮する上で重要なことだと言える。

 

 

 

そして改めて言う。僕は2歳のころからゲームをしていた。

 

 

 

 

「2歳のころからやり始めました」

 

こう答えるプロゲーマー或いはゲームエリート(?)に今頃なっていてもおかしくはないのである。

 

しかし実際はどうだろう?

 

僕はゲームをやめた。

 

プロゲーマーに、ゲーム開発者に、ゲーム実況者になるのでもなく、僕はゲームをやめた。

 

なぜやめたのか、自分でもよくわかっていない。正直飽きが来たとかそういう問題でもないと思うし。

 

2歳から20年近くやってきたことに対して、飽きが来たからやめるというのはあまり考えられない(考えたくない)し、

 

そもそも物心つく前から誰にやらされるわけでもなく自発的に取り組み始めたことなんてぇのは、DNAレベルで刻まれた記憶あるいは天から与えられた何か以外に考えられない。なので単純に飽きたという結論は受け入れられないので棄却することにしよう。

 

しかし、ゲームをやっていると心が空っぽになる感覚になるというか、明らかに目の前のゲームを楽しめてない感じがするのは確かなのである。

 

明らかにDNAレベルで刻まれたタイマー或いは天からお告げが来たから無意識的にゲームをやめることを選択した以外に考えられないのである。受け入れられないのである。DNAレベルで。

 

 

 

 

DNAレベル或いは天から与えられた何かによってゲームをやり始め、

DNAレベルのタイマー発動或いは天からのお告げによりゲームをやめた、

という意味が分からない20年ちょっとの出来事であった。

そしてそれが僕そのものといってもいい人生の軸であった事、

それを人生の軸にしたおかげで様々なデメリットがあったこと(もちろんメリットも多少はあったと思われる)、

これらに何か意味はあるのだろうか。

自分の人生は自分で切り開けという事なのだろうか。

一度よくわからないアイデンティティークライシスに陥ったほうがよかったという事なのだろうか。

単純にゲームの快楽におぼれたドーパミンドッパドパ中毒の二歳だったのだろうか。

 

 

 

よくわからないが(というか考えても仕方のない事なのかもしれない)、

今までやってきた事をやめると決めたのだから、

過去の事であまり深く悩まずに、

これからどうしていくか考えたほうが健全ですね。

心にも体にも良い。

まぁ、これまでずっとゲームやってきたのは、何かいい意味があるのではないか、

と信じることにしよう。

 

 

さぁ、これから何をしていこうか。